今回は趣向を変えて。


今回は挿絵の写真を抜きで書いてみたいと思います。

 

文章や言葉ついて、あれこれと私見をつらつらと、という感じです。

 

今回の文章は、かなり長くゲーム的な内容はゼロなので面倒な読み物は好まれない方は次回更新時での、ご来訪をお待ちしております♪

 

では、参ります。

 

【言葉の端々】という表現がありますが、端々の意味は以下です。

 

1、あちこちの部分。ちょっとしたところ。 


2、中央から離れた、あちこちの所

 

これに【言葉の】が付き【言葉の端々】となると、発言のあちこちにとかになるのかなと思われます。

 

 

【言葉の端々】なる表現から、色々なことに迫りたいと思います。

 

この【言葉の端々】に対してに続くのに比較的多いと思われるのが【言葉の端々に悪意を感じる】とか【言葉の端々に棘を感じる】という後ろ向きな言葉だと思っています。

 

※言葉の端々に熱意を感じる等の良い表現もあるとは思いますが、あまり楽天的になれる人生を送ってこなかったためか、前者のような言葉の方が耳に入る機会が多かったようです。

 

 

さて、出したい前置きが出揃いました、本題に入ります。

 

このように【言葉の端々に悪意を感じる】という言葉があるように、言葉すなわち文章でも言葉の端々に人格が出ます。

 

言い回しや話の流れの作り方などの表現、それらだけでもその人の人格が出ています。

 

【十人十色」と言ったり、【人間みな同じ】とか言う相反する言葉が出てくる理由は、ここにあります。

 

人格を形成するものは、表現のパターン

 

わかりにくい例えかも知れませんが例えて見ると、表現のパターンが1から9まであったとします。

 

Aさんは表現パターン1と3と9を使います。

合計すると13になります。

 

この13がAさんを表す数字です。

 

Bさんは表現パターン1と2と3を使います。

合計すると6です。

 

今度はこの6がBさんを表す数字になります。

 

 

ここでAさんとBさんは二人とも表現パターン1と3を使っています。

 

ここが【人間みな同じ】の部分になります。

 

二人とも三つ持っている表現パターンのうち二つが同じだからです。

 

しかし最後に残った数字に違いが出るため、結果はAさん13とBさん6となり大きな差異が出ます。この部分が【十人十色】になります。

 

※この例の数字の大小は優劣ではなく個性の差異を表現するための例であり個人の優劣の話ではありません。

 

つまり人格は行動パターンを統合できれば割り出せると私は思っています。

 

なんだかややこしい事を書きましたが実はこれ、皆さん普段から無意識でやっているんですよね。

 

この人なんだか好きだなぁとか、なんだか嫌いだなぁとか言う感情を持った事ない方は殆どいないと思います。

 

それはさっきまでつらつらと書いてたややこしい事を無意識でやっているからなんです。

 

ただ無意識であるがために【なんだか】というふわっとした感じに仕上がります。

 

人工知能が賢くなっても人間の知能に追いつくには、まだまだ何十年も先だろうというのを聞きますが、つまりこういうことなんでしょう。

 

【難しいことをなんとなく自動で理解する能力。】

 

どうやら私達、人間はとんでもない能力を生まれつき持っているようですよ!

 

いや、でも私、俺、自分、ワシ、アタシ、頭悪いから。

 

そう思ってる方、勿体ないですよ!

 

無意識を意識的に少し変えるだけで、人間は飛躍的に賢くなります。

 

だって小学生の時に学年で一番頭の悪かった子が、今現在こんなややこしい文章を書いてるんですもの。

 

人生も人間も分かるようで分からなく奥深いですね。

 

(ただの気分転換ですよ……ネタが無いとか、黒の三姉弟書くのが大変とか……そういうことじゃないんですよ……そういうことでは……たぶん……きっと……